ポルノでござい
この日記は、どの時間に更新しても、00:00:00更新ということになっている。
どうして? と言われても、そういうものなのだ。
その日付は、厳密に24時を過ぎているかどうかによって管理される。
だから、4月3日の25:00に、3日の記事を更新しようとしても、4月4日の日記になってしまう。
そして昨日は、それをやらかしてしまった。
溝端葵のグラビアを眺めているうちに、24時を過ぎていた。
ゴミみたいなシンデレラムーブである。
いや、シンデレラは時計の針がてっぺんを超えるまでに帰ったのか。
ならば、私はシンデレラ以下だ。
今日も同じ轍を踏みそうなので、4月4日のていで3日の話を書く。
つまり、4日の日記をこれで代替しようとしている。
このまま振り返り日記になる可能性は否めないが、それを考えるのはひとまず措こう。
昨日は、本多劇場に「ポルノ」を観に行った。
これが散々だった。
主人公の国旗耕二は何としても議員になりたいのだという。
しかし、なぜそうなのかが全く見えてこない。
ならば権力が欲しいのか、というと、そのような人物造形にも思えない。
ただ、泡沫候補らしいマニフェストを掲げるのみである。
一方、そのマニフェストに、当初は拍手が送られるので、やや聴衆には受け入れられていることが伺える。
国旗の主張は次第に過激さを増していくのだが、
「なぜ減っているんだ」と嘆く人物ばかりで、このおかしさに突っ込む人が誰もいない。
だから、どこまでが受け入れられて、どこからは怒られる範囲なのかがファンタジーなのだ。
さらに、候補者に石を投げるという有権者の行動も異常であるが、
その一方、チエリの態度は、本人が女優業で快進撃なのでお高く止まっているのもあるが、政治的無関心を思わせる。
だから、有権者が、意図して国旗を無視しているのか、そういうものなのかも不明なのだ。
ここでは国旗のことにばかり触れているが、それもそのはずで、この芝居は国旗の演説から始まるし、
最後は国旗のチラシが劇場の天空から降ってきて終わる。つまり話の肝のはずなのだ。
なのに、ここには、肝に据えるような「切実さ」や「リアリティ」が欠如している。
結果として、なぜその表現方法をとっているのかを読み解くことが困難になるのだ。
というようなことは、もっと人目に触れるnoteとかで書いた方がいいのだろうが、
私は性格が悪いから、こうして個人的なサイトに書くし、アンケートは書かない。
高校生が衝撃を受ける舞台であることは認めるが、
これが「伝説の舞台」とされていることは非常に残念だし、
40歳近くなった演出家が「ポルノでござい」と、これを満を辞して持ってくることには疑問符をつけざるを得ない。
やはり私と松居大悟は感性が合わないように思った。